【CFB】What Makes a Great Player Great? - By Paulo Vitor Damo da Rosa【和訳・第三回】
2016年7月12日 Magic: The Gathering原文
http://www.channelfireball.com/articles/what-makes-a-great-player-great/
第一回
http://madeinhorie.diarynote.jp/201606271908061870/
第二回
http://madeinhorie.diarynote.jp/201606281520414289/
*
偉大なプレイヤーは何故偉大なのか?
これを書きながら同時に、これは僕にとっての考え方であって、必ずしも正解ではないかもしれないということにも気づいた。さらに僕にとってとても都合の良い考え方でもある。僕の長所(一般的な戦略)を重視して、短所(ときたまポカをすること)を軽視しているからだ。僕がこういう考え方をするに至った理由は、単に自分を偉大だと思いたいだけだから、ということもありえる――自分に備わっている能力を選んで、「偉大」とみなすための基準にしてしまったという可能性が。
これを補うために、他の偉大なプレイヤーたちにも考えを聞いて、偉大なプレイヤーを偉大だと考える定義が同じかどうか確かめることにした。所属するチームも異なる、僕が偉大だと思う何人ものプレイヤーから、次に挙げる質問に対しての意見をもらうことができた:
1) 偉大なプレイヤーとただ単によいプレイヤーとを隔てる最も重要な資質は何か?
2) あなたが他の偉大なプレイヤーと比べて最も優れていると思う資質・技術は?
3) あなたが他の偉大なプレイヤーと比べて最も劣っていると思う資質・技術は?
Owen Turtenwald
1) 些細なことへの注意だね。偉大なプレイヤーはゲームのあらゆる面を自分のコントロール下に置こうと、少なくとも理解しようとするし、そのうえで何もかもを正確に行おうと努める。考えられる限りはどんなに小さいことであってもだ。自分のデッキに入っていないカードを見せかけるためにアンタップ状態にする土地に気を配りながら、対戦相手がアンタップ状態にしようとしている土地を注意深く見て、パターンを観察している。
2) 僕は各ターンに正しいプレイをするという点以上に、ゲームがどのように進行するかとか、どうすれば自分が最も勝ちやすくなるかについてビジョンを持つように心掛けている。だからサイドボードのときもゲーム中の決定も、すべてが予め心に描いておいた僕の立場を強めるようにしているんだ。
3) 他のプレイヤーが上手くやっているのに僕がぜんぜんできないことといえば、デッキの選択だと思う。グランプリでも他のプロは週ごとに最適なデッキを選んでいるのに僕はそんなに良い構築デッキを持ちこめていないし、プロツアーで結果を出せるのは最高のデッキを持ち込めたときだけで、悪いデッキを選んだときはほとんど勝てない【※1】
Sam Black
1) 僕自身が偉大なプレイヤーだと見なしてもらえるようになる前は、それはほとんど才能によるものだと思っていた――君だってJon FinkelやZvi Mowshowitzみたいな人を見れば、彼らは明らかに天才だから、その輪の中に入るにはまずは才能という障壁があると思いこんでしまうだろう。今では、それはもう少しなんとかなるものに思える。正しい知力が必要なことには代わりはないが、マジックはあまりにも多くの技術が絡んでいるので「正しい知力」がいろいろな意味を持っているんだ。
最も重要なことはみんなが言っているとおり――練習して、自身に挑戦し、成功のために本当に身を捧げることだ。だけど僕は、最も重要なものは思考の枠組みだと思っている――ゲームに臨む姿勢だ。僕は自分自身をかなり上等なマジックの「スカウトマン」だと思っている――真剣にプレイする人に新しく出会ったら、その人がどのくらいの潜在能力を持っているかをかなりうまく見極められる。大体は、どのように物事を考えるか、負けをどう捉えるか、学ぶためにどのように段階を踏むか、学ぶことに対してどれだけ意欲的かを見るだけでわかる。この点のほとんどは陳腐な考え方だ――自分の負けに対して責任を負い、単に不運を責める前に自分にできることがあったかを理解しようとするか、自分自身のものと異なる意見に耳を傾け、誰かが自分と異なるやり方をしたときに再評価をできるか、つまるところ単に謙虚さの問題だ。自分は今の自分よりももっと上手くできるはずだという考えを常に持ち、そのために、自分はまだできることを十分にできていないということを自覚する必要がある。
偉大な超人たちの世界に入ると、さらにちょっとだけ話が複雑になる――彼らの本当に並外れたプレイは、ときたま誰にとっても学び方を知らないものになってしまう。その特別な才気は、教えることもできないし、評価したり定義することにどのくらいの価値があるのかもわからない。
2) 僕は巨視的な戦略の考え方では最善の部類に入ると思う。ドラフトデッキが最終的にどのような形になるかとか、試合がどのように流れるかとかいった長期的な視点の形成についてだ。それ以外でも、僕はかなり積極的にリスクを取りにいくし喜んで負けにいく。僕にとって、ゲームというのは探検の場で、たくさん負けるということは学ぶための最高の道なんだ。あと、人が普通どのように考えるかを想像するのも得意だね。これはつまり、対戦相手がどのくらいいろいろなミスをしやすいかを想像できるってことで、対戦相手を失敗に巻き込むための逃げ道を用意しなきゃいけないときにとても役立つんだ。
3) いくつか致命的なものがある:よく知られている強力なデッキ、僕自身も詳細まで理解しつくしているようなものでの、単調なゲームに耐える忍耐力が僕には欠けているんだ――効率よく学ぼうとしてなにか新しいことを試してしまう。この習性はプロツアー前にいろいろなアイデアを試してユニークなものを見つけるのには役に立つけど、このせいでシーズン後半、他の人が大量に練習をつんだ頃にベストなプレイヤーでいることは難しくなる。僕は思考力そのものも他の偉大なプレイヤーほど高くはない――ときどき盤面が複雑になりすぎてすべての可能性を検討できず、いざやろうとしたら迷子になって、結果として直感に頼ってしまうこともある。幸運にも、まともな直感を持てる程度にはたくさんプレイしているしね。
*
つづきはいつになるだろう…
【※1】原文を訳すと「悪いデッキの選択にもかかわらず勝てない」となってしまうが、おそらくOwen本人のミス。
http://www.channelfireball.com/articles/what-makes-a-great-player-great/
第一回
http://madeinhorie.diarynote.jp/201606271908061870/
第二回
http://madeinhorie.diarynote.jp/201606281520414289/
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偉大なプレイヤーは何故偉大なのか?
これを書きながら同時に、これは僕にとっての考え方であって、必ずしも正解ではないかもしれないということにも気づいた。さらに僕にとってとても都合の良い考え方でもある。僕の長所(一般的な戦略)を重視して、短所(ときたまポカをすること)を軽視しているからだ。僕がこういう考え方をするに至った理由は、単に自分を偉大だと思いたいだけだから、ということもありえる――自分に備わっている能力を選んで、「偉大」とみなすための基準にしてしまったという可能性が。
これを補うために、他の偉大なプレイヤーたちにも考えを聞いて、偉大なプレイヤーを偉大だと考える定義が同じかどうか確かめることにした。所属するチームも異なる、僕が偉大だと思う何人ものプレイヤーから、次に挙げる質問に対しての意見をもらうことができた:
1) 偉大なプレイヤーとただ単によいプレイヤーとを隔てる最も重要な資質は何か?
2) あなたが他の偉大なプレイヤーと比べて最も優れていると思う資質・技術は?
3) あなたが他の偉大なプレイヤーと比べて最も劣っていると思う資質・技術は?
Owen Turtenwald
1) 些細なことへの注意だね。偉大なプレイヤーはゲームのあらゆる面を自分のコントロール下に置こうと、少なくとも理解しようとするし、そのうえで何もかもを正確に行おうと努める。考えられる限りはどんなに小さいことであってもだ。自分のデッキに入っていないカードを見せかけるためにアンタップ状態にする土地に気を配りながら、対戦相手がアンタップ状態にしようとしている土地を注意深く見て、パターンを観察している。
2) 僕は各ターンに正しいプレイをするという点以上に、ゲームがどのように進行するかとか、どうすれば自分が最も勝ちやすくなるかについてビジョンを持つように心掛けている。だからサイドボードのときもゲーム中の決定も、すべてが予め心に描いておいた僕の立場を強めるようにしているんだ。
3) 他のプレイヤーが上手くやっているのに僕がぜんぜんできないことといえば、デッキの選択だと思う。グランプリでも他のプロは週ごとに最適なデッキを選んでいるのに僕はそんなに良い構築デッキを持ちこめていないし、プロツアーで結果を出せるのは最高のデッキを持ち込めたときだけで、悪いデッキを選んだときはほとんど勝てない【※1】
Sam Black
1) 僕自身が偉大なプレイヤーだと見なしてもらえるようになる前は、それはほとんど才能によるものだと思っていた――君だってJon FinkelやZvi Mowshowitzみたいな人を見れば、彼らは明らかに天才だから、その輪の中に入るにはまずは才能という障壁があると思いこんでしまうだろう。今では、それはもう少しなんとかなるものに思える。正しい知力が必要なことには代わりはないが、マジックはあまりにも多くの技術が絡んでいるので「正しい知力」がいろいろな意味を持っているんだ。
最も重要なことはみんなが言っているとおり――練習して、自身に挑戦し、成功のために本当に身を捧げることだ。だけど僕は、最も重要なものは思考の枠組みだと思っている――ゲームに臨む姿勢だ。僕は自分自身をかなり上等なマジックの「スカウトマン」だと思っている――真剣にプレイする人に新しく出会ったら、その人がどのくらいの潜在能力を持っているかをかなりうまく見極められる。大体は、どのように物事を考えるか、負けをどう捉えるか、学ぶためにどのように段階を踏むか、学ぶことに対してどれだけ意欲的かを見るだけでわかる。この点のほとんどは陳腐な考え方だ――自分の負けに対して責任を負い、単に不運を責める前に自分にできることがあったかを理解しようとするか、自分自身のものと異なる意見に耳を傾け、誰かが自分と異なるやり方をしたときに再評価をできるか、つまるところ単に謙虚さの問題だ。自分は今の自分よりももっと上手くできるはずだという考えを常に持ち、そのために、自分はまだできることを十分にできていないということを自覚する必要がある。
偉大な超人たちの世界に入ると、さらにちょっとだけ話が複雑になる――彼らの本当に並外れたプレイは、ときたま誰にとっても学び方を知らないものになってしまう。その特別な才気は、教えることもできないし、評価したり定義することにどのくらいの価値があるのかもわからない。
2) 僕は巨視的な戦略の考え方では最善の部類に入ると思う。ドラフトデッキが最終的にどのような形になるかとか、試合がどのように流れるかとかいった長期的な視点の形成についてだ。それ以外でも、僕はかなり積極的にリスクを取りにいくし喜んで負けにいく。僕にとって、ゲームというのは探検の場で、たくさん負けるということは学ぶための最高の道なんだ。あと、人が普通どのように考えるかを想像するのも得意だね。これはつまり、対戦相手がどのくらいいろいろなミスをしやすいかを想像できるってことで、対戦相手を失敗に巻き込むための逃げ道を用意しなきゃいけないときにとても役立つんだ。
3) いくつか致命的なものがある:よく知られている強力なデッキ、僕自身も詳細まで理解しつくしているようなものでの、単調なゲームに耐える忍耐力が僕には欠けているんだ――効率よく学ぼうとしてなにか新しいことを試してしまう。この習性はプロツアー前にいろいろなアイデアを試してユニークなものを見つけるのには役に立つけど、このせいでシーズン後半、他の人が大量に練習をつんだ頃にベストなプレイヤーでいることは難しくなる。僕は思考力そのものも他の偉大なプレイヤーほど高くはない――ときどき盤面が複雑になりすぎてすべての可能性を検討できず、いざやろうとしたら迷子になって、結果として直感に頼ってしまうこともある。幸運にも、まともな直感を持てる程度にはたくさんプレイしているしね。
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つづきはいつになるだろう…
【※1】原文を訳すと「悪いデッキの選択にもかかわらず勝てない」となってしまうが、おそらくOwen本人のミス。
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